それは、もう大分前の事だけど。
あの日を、きっとボクらは一生忘れない。
ある日突然王国に舞い込んできた、信じられないくらいとっても不幸なニュース。
どこぞの『大魔王』を名乗る怪物が、キノコ王国のお姫様を、自分の城に連れ去ったというのだ。
当然、この王国だけでなく、世界中は大混乱に陥って。
その事を知った日から、兄さんは自分の部屋にひきこもって、何やら考え事をしていて。
そして、何日かが経った、雲ひとつなく晴れた朝。
普段なら開口一番言ってくれる『おはよう』も言わず、兄さんは真顔でボクに向かってこう言った。
「オレ、ピーチ姫を助けに行こうと思うんだけど」
その衝撃的な朝を、ボクはついこの間の事のように、鮮明に覚えてる。
「……は?」
「だから、ピーチ姫を助けに行こうと思うんだけど、って」
固まっているボクの顔をじっと見る兄さんの顔は、どこまでも本気。
冗談なんか絶対言ってない顔だった。
「まだ助かってないんだろ? だったらオレが行こうと思うんだ」
兄さんが言っている意味をようやく理解したとき、ボクは口をあんぐりと開けて飛び上がった。
「……えええええーっ!!!」
ボクの口からは、静かな朝をぶち破るように甲高い声が飛び出して。
兄さんも、それに驚いて飛び上がる。
「うお! 何だよ、いきなりでかい声出すなよ!」
「そりゃ大きくもなるよっ!! 長い事部屋にこもってたと思ったら……いきなり何言ってんだよ兄さんっ!!」
「だって心配だし、ほっとけないだろう!」
こんな時でも兄さんの口癖『ほっとけない』は健在。いや、こんな時だからこそ出た、と言うべきか。
兄さんの『ほっとけない病』は、今に始まった事じゃない。それこそ、小さい時からそうだった。
でも、今のボクにとっては、そんなこと二の次だ。
「相手は大魔王なんだよ!? きっと戦いになるんだよ! そうなったら、いくら兄さんだって怪我じゃ済まないかもしれない! 死んじゃうかもしれないじゃないか!!」
怒鳴りながら、テレビのニュースで、誰かが撮った写真が公開されていたのを、ボクは思い出す。
それは、『大魔王』を名乗ったあいつが、ピーチ姫をさらった瞬間を写したもの。ピエロを模した妙な乗り物に乗ってたあいつ。赤いたてがみが生えてて、とげとげの甲羅を背負った、でっかいカメみたいな妙な生き物。
いくら喧嘩に強い兄さんでも、あんなバカでかい奴とやりあって勝とうだなんて、絶対無理に決まってる!
「なあに」
そんなボクの心配をよそに、兄さんは自信満々に胸を張っている。
いつも通り。
こんな時でも、とんでもない事を言った直後とは思えないほど、本当にいつも通りに。
「それぐらい覚悟してるさ。そうじゃなきゃこんなこと言わないだろ」
覚悟なんて、言わないで。
まるで、本当に死にに行くみたいじゃないか。
「……ボクはっ、そんな覚悟できないよっ!!」
気づいたら叫んでいた。
涙が、堰を切ったようにあふれだす。
「父さんも母さんも、もういない。もうボクには、兄さんしかいないのに」
「……ルイージ」
「なんでいきなり! そんなことっ、言うんだよぉっ!!」
戸惑う兄さんをほったらかして、涙でぐしゃぐしゃになったひどい顔を見られまいと、手のひらで顔を覆い隠すようにして。
しゃくりあげながら、どうにかボクは声を出そうとしていた。
「お願いだからっ、行かないで。ボクを一人に、しないで。お願い……っ」
ふと、かぶっていた帽子を脱がされて。
ぽんぽん、と、叩くように頭を撫でられて。
恐る恐る顔を上げると、今にも泣きそうな顔をした兄さんが、ボクのすぐ目の前にいた。
「ごめんな、ルイージ」
ボクの目線と同じ位の高さまでしゃがみこんで、優しく兄さんは語りかける。
「オレ、な。この間の即位式であの人を始めて見た時、マジで綺麗な人だなあって思った。1度でいいから、お会いして話してみたいってさ。でも、そんなの無理だって思ってた。そんな時……この事件が起きたのさ」
ボクはちょっぴり驚いた。
今まで、色恋沙汰に興味なさそうだったのに。まさか、この国のお姫様に一目ぼれだなんて。
「だから……会いに行くの?」
「オレだって迷ったんだぞ。本当に助けに行けるのかとか、死んじまったらどうしようとか、もし成功してもあの人が振り向いてくれるだろうかとか。でも気づいたら、やっぱり会いたいって、思った。どんなに危なくても、例え死ぬ事になっても、絶対あの人に会うんだって」
そこまで言って……兄さんは、突然ボクの体を抱きよせた。
驚きのあまり、泣くのも忘れて固まるボクに、兄さんは続けて語りかける。
「でも、今のお前の話を聞いて、ちょっと気が変わった」
「……?」
「助けに行きたいってのは変わらない。でも」
背中をさするように撫でながら言う兄さんの声は、固い決意に満ちていた。
「オレは、絶対死なない。ちゃんとお前のところに帰ってやる。ピーチ姫と一緒に」
「……兄さん」
「この世界にお前一人だけなんて、絶対させないから。な?」
そのセリフを聞いて。
これはもう、いくら説得しても無駄なんだろうなって、うっすらとボクは思った。
それほど、兄さんはあのお姫様に惚れこんじゃったんだから。
「……分かったよ、兄さん」
服の袖を使ってやや乱暴に涙をぬぐいながら、ボクは立ち上がる。それにつられて兄さんも立ち上がる。
その兄さんの手を取って、顔をじっと見つめて、ボクは念を押すように言った。
「危ないと思ったら、絶対すぐ帰ってきて。絶対に無茶しないで」
「分かってるよ。お前も留守番しっかりな」
「うん、もちろん。兄さんの部屋、しっかり片付けておいてあげるからね」
ボクの言葉に大きく頷いて、兄さんは近くの棚に立てかけてあった大きな木製のハンマーを手に取って。
最後にこっちを振り向いて、ボクに向かってにかっと笑ってみせた。
「それじゃあ、行ってきます!」
これから死んじゃうような目に遭いに行くとは思えない程の、ごく普通の見慣れた笑顔。
だから、ボクも同じくらいの笑顔で返した。
「……うん、行ってらっしゃい。気をつけてね!」
それからのボクは、もう不安でいっぱいだった。
家にいる時も、買い物してる時も、キノピオとお話している時も、兄さんの事ばかりが頭から離れない。
今どこにいるんだろうとか、お腹減らしてないかとか、危ない目にあってないかとか。
……いつ、帰って来てくれるんだろう、とか。
心配で心配で、しょうがなかった。
今日も、そう。
清々しい朝の散歩のはずが、思考はどんどんネガティブなほうへ落ちていく。
(危ないと思ったらすぐ帰って来て、って、言ったのに)
まだ大丈夫なのか、それとももう手遅れなのか、どっちなのだろう。
お姫様の事なんかどうでもいい、なんて、全然思っていないけど。
(お願いだから、早く帰って来てよ兄さん!!)
とにかく、会いたかった。
「号外でーす!!」
そんな思考をぶち破ったのは、素っ頓狂な叫び声。
そちらを見ると、新聞配達のキノピオが、あちらこちらにチラシをばら撒きながら街道を駆けまわる。
「号外、号外ー! クッパ城陥落!! ピーチ姫様をお助けしたのは、なんと我が国出身の人間だー!!」
「……え!?」
聞き捨てならないセリフを聞きつけ、ボクは慌ててキノピオがまき散らしたチラシを拾い上げ、文面を食い入るように見つめた。
『勇敢なる若者、大魔王を撃破!』
そんな見出しで始まるそのチラシ。
印刷されている写真に写っているのは、崩れ落ちた建造物と、ピンクのドレスに金髪の綺麗な女の人。
そして……彼女の口づけを鼻に受け、顔を真っ赤にして固まっている兄さんの姿。
「兄さん……すごい、すごいや!!」
こうしちゃいられない。考えるより先に、ボクはキノコ城に向かって駆け出していた。
お城の方からのんびり歩いてくる兄さんを見つけた時、ボクは胸がいっぱいになるのを感じた。
ちょっぴりやつれた?
ハンマーを持ってない。戦いの時壊れたのかな?
右腕をかばいながら歩いてる、怪我してるの?
ああ、服もあんなにビリビリのほこりだらけで。
久しぶりに見る兄さんの姿は、ほんの少しだけ凛々しくなったようだった。
すると、兄さんもこっちにいるボクの姿に気がついたらしい。
大きく手を振って来た。
「ルイージー!」
「……っ」
そろそろ、抑えていたものに限界を感じて。
こらえきれずに駆け出したボクは、思いっきり兄さんの胸に飛び込んだ。
「うわっと!」
「兄さんのバカあっ! どんだけかかったんだよっ! すごく心配したんだからね!!」
「はは……悪い悪い。でも、オレはちゃんと約束守ったぞ」
あの時みたいに、ゆっくり優しく背中をさすって。
穏やかな口調で、兄さんはボクに言った。
「ただいま、ルイージ」
その声で、ボクは心から安心できる。
もうさみしくない。
もうひとりじゃない。
だから、ボクも言わなくちゃ。
「……うん。お帰り、兄さん」
おしまい。
というわけで、ピーチが初めて攫われた日の兄弟話。マリオの冒険とルイージのお留守番のはじまり。
ルイルイくんはこの話だけではなく、今でも兄さんのことをすっごく心配していればいいと思います!
兄弟の両親は「いない」でいいのでしょうか。死別しているのか、それとも離れ離れで暮らしているのか……どっちだろう。